わたしを離さないで感想 陽光で絵を描く理由は魂の証明か
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ドラマ「わたしを離さないで」の感想と予測です.陽光で絵を描く理由は「提供者にも魂がある」ことの証明だとする仮説を立てました.
*筆者は原作本や映画などは一切みていません.ドラマを毎週楽しみにしている一読者としての視点から記事を書いています.
陽光で絵を描く理由は魂の証明か
物語の開始当初から気になっている方も多いと思います.
最後の最期まで重要な要素として残っていますからね.
なぜ,
陽光では絵を描くことに重点が置かれていたのか.
龍子先生の言葉,
「陽光は誰よりも深い愛情で生徒である提供者たちを守ろうとしていた」
は真実であるとすると,深い意味がありそうです.
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猶予や陽光とマダムの秘密に関してはこちらをまず参照ください.
陽光の芸術に重きを置く校風
美和が好きだった次郎先生は,よく次の言葉を言っていましたね.
「絵は魂を表す」
と.
この言葉の意味は何なのでしょうか.
最初の頃は,
提供者として身体を傷つけさせないよう,
スポーツからの関心を奪うためのものであると解釈していました.
それに,画一的な思考を持たせると管理がしやすいでしょうからね.
ですが,
物語が進むにつれ,
全く違った意味を持っていることが明らかになってきたのです.
陽光の愛情の深さと,「猶予」の存在ですね.
予測なのですが,
提供者の描いた絵が外部の人間たちにより評価を受けることで,
提供者にも魂があるということを証明することが目的だったのではないでしょうか.
そう考えると,
次郎先生が美術の時間に自らの声だけでなく,テープを元に口パクをしていたことにも少しだけ合点がいきます.
科学の世界における様々な知見は,論文により蓄積されていきますよね.
その論文の持つ意味の1つに,
再現性
があります.
STAP細胞などでも,
論文として正しい知見であるかどうかを示すために,
再現実験が行われていましたよね.
論文に書かれている内容を,
誰が行おうとそのまま再現できる状態にしておくことではじめて,
論文の内容が認められるわけです.
テープを流すのであれば,誰にでも再現できますし,
どのような教育を行っていたのかの重要な証拠となります.
そして,
陽光に通っている以外の人達は,
第8話に出てきた陽光の跡地にできた「ホーム」のような,
すさんだ環境下で生活をしているようでした.
ろくに教育を受けず,
大人から愛情を注がれないままに成長していくと,そうなっていくと.
いわゆる外の人間である提供者でない人達と,提供者との間には何も違いがないのだということを示し,それにより提供者を取り巻く環境の改善を図っていたのではないかと思うのです.
提供者として生を受けた以上,
臓器提供という役割を果たすことは仕方ない.
ただ,その役割を果たすまでの間は,
人間として生まれた意味を持たせたいという想いです.
提供者の社会への関わり方の模索か
「猶予」の条件は,
本当に愛し合っている二人であることを証明すること
であると言われていますね.
それに,
年に一度の展示会では,販売会で利用可能なコインをもらえるという仕組みもありました.
これは社会生活への適応を促していますね.
また,
恭子は車の運転が出来ます.
介護人として必要な場面もあるにはあるのでしょうが,
社会的に訓練を受けさせることには負担がかかるはずです.
臓器提供をするという目的だけをみれば「無駄」とも思えるこれほどの労力を費やす意味は,どこにあるのでしょう.
提供者の存在は,外の人間にも一応は知られているようですが,
どうにも全体的に理解が浅い印象は拭えません.
真美の演説のときにもそうでした.
足を止めはするものの,どうにも実感のなさそうな様子の通行人たち.
実際,龍子先生も優秀と言われていましたが,
提供者に対する理解は浅かったと言わざるを得ません.
美和が絶命した時点では,
真美のような件もあり,陽光出身者のような提供者は煙たがられてもいました.
社会全体として,
「提供者」に対してどのように接していくべきであるのか,
模索を重ねている状態であるとは考えられないでしょうか.
まとめ
陽光で絵を描くことを重視していたことには,
提供者にとっての幸せを願いそのやり方を模索する姿勢が垣間みえています.
最終回までの間にこの謎が明確に明かされることを望みます.
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